仕事を続けるには、体力よりも“気持ち”の切り替えが要る。
僕たちにとってそれは、一泊10万円の宿に、年に一度だけ「帰ること」だった。
静かで上質な箱根の宿──「白檀」。
通い続けて9年、変わらない空気と、小さな変化の積み重ねが、旅を“人生の一部”にしてくれた。
箱根・強羅の山あいにある「白檀」。
この宿に通うようになって、もう9回目になる。
豪華というよりは静かで、贅沢というよりは必要な場所。
そんな“常宿”に、今年もまた足を運んだ。
変わらないもののありがたさと、
変化に気づける自分でいられる喜びを、
少しだけ書き残しておこうと思う。
第1章|またこの宿に来てしまった

毎年一度、この宿に帰ってくる。
箱根・強羅の山あいに佇む「白檀」という宿。
広大な雑木林に囲まれ、全16室すべてに源泉かけ流しの露天風呂がついた、静かで上質な場所だ。
もう通算9回目になるだろうか。
ここに来る理由は──単純だ。もう一度、前を向くため。
仕事を続けるというのは、気力が要る。
ただ走り続けるだけでは、どこかで息切れしてしまう。
だから、定期的にここに“気合いを入れに”来るようになった。
暖簾をくぐると、「おかえりなさい」と言われる。
たったそれだけのことが、妙にうれしい。

“選ばれた客”として扱われるのではなく、“いつもの客”として迎えられる
——そんな居場所感がある。
観光ではなく、“暮らしの延長線上にある旅”のような気がしている。
部屋は、香の名を冠した和洋室。
窓の外には深い緑が揺れ、季節の音が響く。
かけ流しの湯は88℃の源泉を湯守が調整してくれたもので、
広々としたデッキスペースからは四季の表情が染み込んでくる。
強い刺激はない。けれど、ゆるやかな再起動がある。
それが、この宿「白檀」の魅力だ。
第2章|“気合いを入れる”ための贅沢

「贅沢ですね」と言われることがある。
確かに、一泊10万円という価格だけを見れば、そう思うのも無理はない。
でも僕たちにとって、この宿に来ることは、単なる“ご褒美”でも、“消費”でもない。
これは“再起動”だ。
日々の仕事に追われ、頭の中がざわつきはじめた頃──
ああ、そろそろ白檀に行こうかな、と思う。
温泉に浸かりながら、何かを考えるわけでもなく、ただ、考えない。
料理を味わいながらも、舌よりも心をほぐしていく。
普段なら絶対に選ばない、“組紐のように繊細に重ねられた”懐石料理。
そこには「自分を丁寧に扱う」という行為がある。
ただ、僕はこの宿を予約する際も、必ず一番安い部屋を選んでいる。
広さや豪華さにはこだわらない。
懐石料理と部屋風呂があれば、それで十分だ。
一休.comは時折りクーポンを発行してくれる、これを使って、
「今年もそろそろ行くか」とタイミングを見て予約する。
それが、ここ数年の習慣になっている。
そして、満室でなければ、「いつもありがとうございます」と、宿の方がそっと上のグレードの部屋にしてくれることもある。
今回はそれがなかったけれど、別に不満はない。
僕たちにとっての“贅沢”は、価格や部屋のグレードじゃない。
この宿で心を整えるという、確かな価値があるかどうかだ。
贅沢というのは、必ずしも派手なことじゃない。
自分の状態を“立て直すために必要なコスト”なら、それは戦略だ。
日常に戻ったとき、
「この宿にまた来たい」と思えるかどうか。
それが、もう一度ちゃんと働こうと思えるかどうかの指標になる。
そういう意味で、白檀は僕たちの“気合い入れ装置”なのだ。
第3章|“あれ?”という違和感が教えてくれた、宿の進化

部屋に入ってすぐ、僕は小さく驚いた。
いつも部屋に入るや否や露天風呂の温度を確認することが習慣だ。なぜならそのままでは熱すぎて入れないから。
そう、いつもなら熱すぎるから、部屋に入るとすぐに水を足して温度を調整するのがルーティンなのだ。
ところが今回は湯加減が絶妙。まるで、最初から「今すぐ入ってください」と言われているかのようだった。
さらに、食事を終えて何時間か後に戻ってきたときも──あれ?まだちょうどいい。
これまでは、時間が経てばまた熱くなりすぎて、結局また水を入れて調整していたのに。
気になって中居さんに聞いてみた。
「あ、それは。実は…全室、マイコン制御に切り替わったんです。」
なるほど、地味だけれど確かなアップデートだった。
聞けば、外国人観光客の増加に伴い、「水を出して温度調整する」ことがうまく伝わらない、水を出しっぱなしにする人たちが後をたたず水道代が跳ね上がったことが背景にあったという。
はたまた「今までは“水を出し過ぎてぬるくなりすぎて、温め直してくれ”っていう要望まで増えて……。ぬるくなったあとに熱くするのは大変だったんです。でも、温度をいじれるようになったので、どちらにも対応できるようになったんです」とのこと。
そして、マイコン制御の導入によって、逆に熱めのお湯が好きな人は、フロントに電話すれば部屋ごとに温度を上げることもできるようになったらしい。
なるほど、宿側にとってのこのマイコン制御は宿にも客にの双方メリットのある設備投資なんだと思った。
でも僕にとっては、そんな裏側に、まったく気づいていなかった。
ただ「今日はいい湯加減だな」と感じた、それだけのことが──
実は、宿が試行錯誤しながら進化していた証だったのだ。
第4章|料理長の不在と、記憶の味


食事は、いつも通り美味しかった──
それは間違いない。
けれど、何かが違う。いや、何かが足りないという感覚に近いかもしれない。
去年も、一昨年も、その前も、
この宿の献立には、いつも同じ名前が書かれていた。
総料理長の名前だ。
「ああ、これこれ」
という記憶に寄り添うような、味の流れと演出。
それが今回は──なかった。
たとえば、毎年必ず出てくる「牛フィレ石焼き」。
去年まではローズマリーが添えられていて、それが香りのアクセントになっていたのだけれど──今年は、それがなかった。
ほんの些細な違い。でも、その“らしさ”の不在が、確かに記憶とのズレとして残った。

味の質は高い。内容も工夫されている。
でも、どこかに“らしさ”が感じられなかった。
翌朝、なんとなく尋ねてみると、
「実は総料理長が病気で、今は姉妹宿「玄」の総料理長が代わりに来てるんです」
とのことだった。
「玄」の方が白檀よりもワンランク上の宿で次は行こうかと会話しながらも白檀に繰り返し泊まってる。思いがけずワンランク上の食事が味わえたということか、なんて中居さんともやりとり。
それにしても総料理長が実は違ったとはね、なるほどと腑に落ちる。
料理そのものというよりも、味とは、舌で感じるものだけでなく、記憶に寄り添って初めて完成するものなのかもしれない。
ふと、頭の片隅に「限界効用逓減の法則(経済学で言う“同じものに対する感動は徐々に薄れる”という考え方)」という言葉がよぎる。
何度も同じ旅を繰り返していれば、感動は少しずつ薄れるのかもしれない。
けれど、今回の“ちょっとした違和感”は、たぶんそのせいだけではなかった。
ちなみに、夕食の献立にはいつもの料理長の名前がそのまま印刷されていた。
急な交代だったのだろう。

でも、そんな行き違いも含めて、“通い慣れた宿”にしか起こり得ない旅の出来事だと思った。
補章|季節と余白の楽しみ方

今回泊まったのは6月、梅雨入り前ぎりぎりの晴れ間だった。
部屋の窓から見える景色は、ちょうど目の前に紅葉の木があって、
「秋だったらもっと綺麗だろうね」なんて話をしながら風を感じていた。
料理はもちろん季節ごとに変わる。
2月の雪見懐石も良かったけれど、
6月の初夏らしい軽やかな構成も悪くない。
部屋の棚の中には、昔ながらの蚊取り線香が置いてあって、露天風呂で使えるようだ。
あの、火をつけて渦巻きにするやつだ。一晩中使ってみた。
これ、外国人には絶対わからないだろうな…なんて思いながら、
「旅館」ではなく「日本の暮らし」に触れているような気持ちになる。
そして、白檀の夜のお楽しみ。
夕食が終わったあとは、ラウンジにフリードリンクコーナーが登場する。
ワイン、日本酒、焼酎。どれも自由に。
けれど、食事中に飲みすぎてしまうと、ここを楽しめない。
だから最近は、少しセーブしておくようになった。もっとも、これはあくまでもフリーサービスの扱いだからいつまで続くかわからない。少なくとも初めて泊まったときから必ず登場してるけど。
ちなみに、おつまみは、まさかの駄菓子。

高級宿のラウンジにこれでもかと“駄菓子”が並んでいるこのギャップが、実はけっこう好きだ。
さらに、大浴場の近くには小さな冷凍庫があって、
そこにアイスがいつもストックされている。しかもこのアイスは一度も同じだったことはない。(記憶の中では)
温泉上がりにふらっと立ち寄って、子どもみたいに何個かもらう。
そして翌朝。
朝食は8時、8時半、9時の中から選ぶのだが、8時にお願いをしつつ、
ぼくたちは7時にラウンジに行くようにしている。
なぜなら──そこにはスパークリングワインが用意されているからだ。

朝の光を受けて揺れる泡が、静かに一日を始めさせてくれるフルートグラスに注いだ一杯が、眠気と旅情のあいだで、そっと1日を始めさせてくれる。
同じ宿に、違う季節に泊まるということ。
それは、「新しさ」ではなく「奥行き」をくれる旅だと思う。
終章|この宿に、あと何回来るだろうか
9回目の白檀を終えて、ふと考えた。
この宿に、あと何回来るのだろうか。
来るたびに「また来てしまったな」と笑うように言っていたけれど、
その“また”が、あと何回残っているのかは、誰にもわからない。
2028年。
僕たちは仕事を辞める予定だ。
働く日々が終われば、「気合いを入れる旅」は不要になるかもしれない。
この宿に“整えてもらう”必要も、もうなくなるのかもしれない。
贅沢のかたちは変わる。
時間も変わる。
そして、旅に込めていた“意味”もまた変わっていくのだろう。
でも、たとえば──
旅の途中で、これからの人生を見つめ直したくなったとき。
あるいは、何か大切な決断をしたあとに、自分を静かに労りたいとき。
そんなとき、僕たちはまたこの宿を思い出す気がする。
湯けむりの向こうで風が揺れる音。
季節の声とともに差し出される懐石料理の温かさ。
そのどれもが、「ああ、帰ってきたな」と思わせてくれる。
この宿は、かつての“目的地”ではなく、
今では“人生の座標軸”のひとつになっている。
金銭的な観点では、退職後ならば、平日の最も安い料金のときに迷うことなく予約もできる。
そう思うと、
たとえ“気合い”がいらなくなっても、
たとえもう“働く自分”でなくなったとしても──また来たいと、素直に思える。
旅のかたちは変わっても、
この宿に帰りたくなる気持ちは、きっと変わらない。
そう思える場所があること。
それこそが、何よりの贅沢なのかもしれない。

▶ 宿泊先の詳細はこちら:箱根・白檀 公式ホームページ

旅のプランニングと資産設計を通じて、自由な人生を構造的にデザインすることを追求中。
50歳での早期退職を目指し、世界一周航空券での長期旅を本気で準備しています。
思想・構造・実践──人生を支える「資産としての旅」を記録・発信中。