「まさか、自分が“密入国者”になるなんて──。」
これは、台北から成田へ帰国した際、航空会社の手続きミスで入国審査を受けずに日本に入ってしまったという、少し信じがたいけれど本当に起きた実体験の記録です。
関係者からの連絡を受けて再び空港に戻り、逆流するように入国審査を受けに行く……そんな異例の体験を、ひとつの旅のエピソードとして残しておこうと思います。
第1章|予定外のダイバート──成田から名古屋へ
フライトは台北発のJW104便。定刻は12:45発、成田着は17:00の予定。
ところが成田空港は強風で着陸を試みるも断念。2度ほど着陸を試みました(いわゆる「タッチアンドゴー」だったのかもしれません)。
最終的には「燃料が残り少ないため、これ以上は成田に着陸を試みられない」とのことで、名古屋(中部国際空港 セントレア)へのダイバート(目的地変更)が決定。
LCCだったので、「このまま名古屋で降ろされて、あとは自力で東京に帰ってください」なんてこともあるのでは…「セントレア空港から東京はどうやって帰るの?」と、少し緊張感が走ったのを覚えています。
第2章|名古屋での不思議な“足止め”
名古屋には一旦着陸し、給油しつつ、成田の天候回復を待つとのこと。乗客は機内待機……かと思いきや、給油中に機内には居られないとのことで、機内から一度降ろされ、タラップ付近の狭いスペースで待機させられることに。
空港の広い待機エリアで過ごせなかったのは、名古屋で入国審査を受けていない状態だったから。
入国前の乗客を空港内に自由に歩かせるわけにはいかないし、かといって名古屋で入国審査をするわけにもいかない。
そんな“宙ぶらりん”の状態だったんですね。
まさに“給油中の待機”という特別扱いでした。
そのときの様子を唯一撮っていたのが、飛行機が写っている1枚の写真。

第3章|ようやく成田へ──しかし、そこで起きた“誤誘導”
名古屋からの再出発は夜8時すぎ。成田に到着したのは予定より大幅に遅れた夜9時45分。
到着後、バスでゲートに移動。ここからが本題です。
本来、国際線利用者は
国際線到着口 → 入国審査 → 荷物受け取り → 検疫 → 税関 → 一般エリア
という流れで入国します。
しかしこの日はなぜか全員が国内線の到着エリアにバスで誘導されてしまい、そのまま国内線専用の荷物受取所を通過し、一般エリアに出てしまいました。
入国審査も税関も、すべて“経由せず”に。
第4章|なぜ気づいたのか?──入国してないと気づいた瞬間
正直、気づかずにそのまま帰宅していた人も多かったと思います。
僕が気づいたのは「そういえば、入国審査も税関もスルーしたよな?」という違和感からでした。
荷物を預けていなかったからこそ、そのまま出られてしまったというのもあると思います。
でも、あの時、国際線利用者の通常ルートで諸々の手続きをしていたら、成田空港発のバスの最終(22時発)に間に合っていなかった可能性が高かったといえます。
そして──バスに乗り込んで暫くすると知らない番号からスマホに着信が。
航空会社かもしれないと思いつつも、まずは帰ることを優先して、その時は出なかった。
第5章|再び空港へ──“逆流”という異常体験
翌日、ニュースになっていることを知り、やっぱり入国手続きはしてないし、スマホの着信も航空会社だったと確認。こちらから折り返しの連絡をしました。
「あなたは入国手続きができてません。成田空港に戻って手続きいただけますか?」
交通費は往復分をバニラエアが負担をするとのこと。1週間後の週末に僕は改めて空港へ。
こうしたやりとりをした日の夜には改めてバニラエアから対象者宛に謝罪のメールが届いた。

成田空港に戻ったけれど
しかし当然、飛行機を降りた人と同じ動線を進むことができません。
バニラエアの担当者の付き添いで、特別なルート(というより通常ルートの完全な逆流)で入国審査場へ。
すでに日本に入って1週間が経っているにも関わらず、検疫含めて“再入国”のような扱いで手続きされました。
この件は、航空業界メディア「Aviation Wire」にも取り上げられています。
台北からの乗客50人、審査通過せず入国 バニラエア、成田着便で
Aviation Wire(2016年4月18日)
この記事によると、成田空港で国際線の乗客が国内線ゲートに誤誘導され、そのまま入国審査や税関を通らず一般エリアに出てしまった。まさに、自分が体験した出来事です。
最終章|振り返って思うこと
この出来事は、旅のトラブルとしてはなかなかレアで、むしろ面白い思い出になりました。
それと同時に、空港の動線設計や誘導体制の脆弱性を痛感した出来事でもありました。
名古屋では、「まだ入国していない人たちを自由に動かすわけにはいかない」という、極めてもっともな対応。
一方、成田に着いてからは──本来、もっとも厳格であるべき国際線の到着でその“当たり前”がすっぽり抜け落ちていたわけです。
あのとき名古屋で降ろされていて、あとは自力で東京まで帰ってくださいと言われていたら、きっともう少しシビアな経験になっていたかもしれません。
今では「自分は密入国者だったかもしれない」という笑い話として語れますが、振り返ると冷や汗ものです。
いつもの旅が少し特別になる──そして、こうした出来事そのものが経験資産だと思っています。
このときは私ひとりの思い出でしたが、ブログを始めたことで、今回の記憶があらためて蘇ってきました。
時代の一枚|2016年春




旅のプランニングと資産設計を通じて、自由な人生を構造的にデザインすることを追求中。
50歳での早期退職を目指し、世界一周航空券での長期旅を本気で準備しています。
思想・構造・実践──人生を支える「資産としての旅」を記録・発信中。