01|思想編|書籍・人物から学ぶ

旅先で仕事をするという生き方──浅田次郎のようにはいかないけれど

完成後のウィン・ラスベガス外観。カスケード(滝)とエスプラナード入口が写る

旅先で、仕事をする。

それは、かつては一部の作家やジャーナリストにだけ許された“特権”のように思えた。
そう思っていた人も多いだろう。

けれど今は、ノマドやYouTuber、ブロガーといった新しいスタイルが当たり前になりつつある。

そんな「自由な働き方」の最先端を、ずっと昔からやっていた人物がいる。

──作家・浅田次郎だ。

彼は、1998年に初めてラスベガスを訪れたとき、「これからは年に最低でも3度はラスベガスに来る」と誓いを立てたほどのカジノ好き。きっと今でも通ってるのだろう。

ラスベガス好きが高じて『オー・マイ・ガアッ!』というカジノ小説まで書いてしまった。

しかもこの作品は、海外を旅しながら執筆された“リアルな旅する仕事”の記録でもある。

中国、オーストラリア、ラスベガス──そして時差を計算しながら原稿をFAXで送るという、今では想像しにくいノマドワークを実践していたのだ。

僕は作家ではないし、彼のような天才でもない(当たり前だ。)。

けれど、もしこのブログが誰かに読まれるなら──

旅先で記事を投稿しながら、自分の時間を自分のものにする生き方を、少しだけでも近づけられるのかもしれない。

第1章|ラスベガスと浅田次郎のカジノ小説

浅田次郎というと、『鉄道員(ぽっぽや)』や『壬生義士伝』といった人情味あふれる名作のイメージが強いかもしれない。

でも実は、かなりの“カジノ好き”としても知られている。祖父→父→浅田次郎と三代続く筋金入りの博打好きらしい。

浅田次郎のお祖父さんは、菊花賞のグリーングラスの単勝馬券(1976年の菊花賞の大穴馬券)を握って死に、お父さんは京王閣(東京都調布市にある競輪場)で倒れたらしい。

年に数回ラスベガスに通い、その熱意が高じて『オー・マイ・ガアッ!』というカジノ小説を執筆。

📖オー・マイ・ガアッ!集英社文庫(2004年)

舞台はラスベガス。人生のどん底にいた3人の男女が、
カジノで巨額のジャックポットを当てたことから物語が動き出す。

金、欲望、裏切り、そして再生──

📘『オー・マイ・ガアッ!(Amazon)

浅田次郎ならではの人間描写と笑いが光る、痛快エンタメ小説だ。

そして、カジノの空気感・臨場感がリアルに伝わるのは、著者自身が何度もラスベガスを訪れているからこそ。

この小説は、中国やオーストラリアなど旅先で実際に執筆されていた。

FAXで原稿を送っていた時代に、時差を計算して締切に間に合わせるというプロ中のプロの仕事ぶり。

さらに彼は、自身の語りの中でこうも述べている。

パリの五つ星ホテルで『鉄道員(ぽっぽや)』を、
アラビアの砂漠のテントで『壬生義士伝』を書いた
、と。

──それって、まさに“自由に働く”の究極形じゃないか。

もちろん、小説家になるのは簡単じゃない。いや、普通はなれない。

でも、「旅しながら、何かを発信する」という生き方なら、今の時代は誰にでもできる。発信を受け止めてくれる人はいないかもしれないけれど。

第2章|世界のカジノ紀行|カッシーノ!&カッシーノ2

そんな彼の“旅する筆”は、実在のカジノ都市を舞台に、さらに自由に広がっていく──

浅田次郎のカジノ好きは、小説だけで終わらない。

彼は、ヨーロッパ中の由緒あるカジノを巡るという、夢のような企画を実現させた。

それがカラー写真を随所に差し込んだ紀行本『カッシーノ!』だ。

モナコ、ドーヴィル、バーデン=バーデン、ウィーン、ロンドン……
交通費や宿代は出版社持ち、ただし掛け金は自腹。

豪華ホテルに泊まり、ディナーを楽しみ、夜はクラシックなカジノへ──。

読んでいるだけで背筋が伸びるような、旅と遊びと美意識が交差する一冊である。

そして、実はこの本には続編がある。

その名も『カッシーノ!2』。

今度は舞台をアフリカに広げ、エジプトはカイロ、シャルムエルシェイク、南アフリカのヨハネスブルクにケープタウン、果てはチュニジアにモロッコのマラケシュといった具合に異文化カジノを探訪している。そして、ラスベガスにも訪れている。

南アフリカでは通貨の両替不能(米ドル→南ア・ランドの一方通行でカジノに勝ってランドの大金をせしめてもランド→米ドルなどに両替出来ない!)に驚いたり、ウィン・リゾート建設中のラスベガスで、スティーブ・ウィンと対談したりと、相変わらずの“現地体験全開”スタイル。

まさに、旅とカジノの融合、浅田次郎にしか書けない紀行本だ。

浅田次郎のカジノ紀行は、単なる遊びではなく、異文化への探究と実地取材の記録でもある。

こんな人生、してみたくないですか?

もちろん、浅田次郎は超一流の「作家」という職業があるからこそ、この旅が成立している。

普通の会社員にとっては、考えられない待遇だろう。

でも、そこに自由な生き方のヒントがあるのかも知れない。

第3章|読まれる自由、旅する自由

旅するだけなら、誰にでもできる。

でも、その旅を「記録して発信する」ことは、思っている以上に特別な行為だ。

誰に読まれるともわからないけれど、ぼくは旅先のカフェで書いている。

時にはWi-Fiが不安定なホテルで、写真をふんだんに使って、旅の空気ごと届ける記事を投稿する。

その作業のすべては、自由のために自分で選んだ行動であり、

誰かの“共感”や“興味”に出会えたとき、報われる。そう信じたい。

「読んでます」「面白かったです」

──たったそれだけの言葉が、次の旅を支えてくれる。

浅田次郎は、世界中のカジノをめぐって書いた。

僕は、世界中の観光地を旅しながら書いていく。(その予定だ!)

彼がそうだったように、僕にとっての旅もまた、「自由と表現の場」であり続けたい。

補章|どこにいても、本気で書ける人はいる

本記事で紹介した小説『オー・マイ・ガアッ!』には、浅田次郎自身のこんな一節が登場する。

「かつてアラビアの砂漠のテントの中で『新選組』を書いていた。
また、北国の物語を書き上げたときも、パリのプラザ・アテネで執筆していた。」

この記述を読んで、僕はすぐに思い浮かべた。

これはきっと、『壬生義士伝』と『鉄道員(ぽっぽや)』のことだ。

どちらも日本文学を代表する名作。そしてどちらも映画化までされている。

それが砂漠やパリの高級ホテルという「旅の最中」で書かれたという事実には、驚きを隠せない。

もちろん、小説が傑作である理由は「どこで書いたか」ではなく「何を書いたか」にある。

それでもやはり──

  • テントの中で歴史小説を。
  • パリのホテルで雪国の物語を。
  • そしてラスベガスでエンタメ小説を。

浅田次郎という作家は、旅と仕事の境界を曖昧にしながら、本物の“旅する仕事”をしていた。

僕には文才も、ブログの才能もない。

けれど、自分なりのやり方で、旅先でブログを通じて発信を続けていきたいと思っている。
2028年にはこれを実現してみたい。


完成後のウィン・ラスベガス外観。カスケード(滝)とエスプラナード入口が写る
「浅田次郎が『カッシーノ!2』で訪れたウィン・ラスベガス──当時はまだ建設中だった。これは、完成後の姿。」

ちなみに、浅田次郎が『カッシーノ2!』で訪れた当時、ラスベガスの「ウィン・リゾート」はまだ建設中だったらしい。

僕が訪れたときには、すでに完成し、巨大な建物がまばゆく輝いていた。

旅の記憶と、本の記憶が重なる瞬間だ。

──そんな小さな実感もまた、旅の醍醐味かもしれない。

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この記事を書いた人
shisan-tabiの運営者であり夫(資産設計・旅の記録を担当)
shisan-tabi管理人(夫)
旅のプランニングと資産設計を通じて、自由な人生を構造的にデザインすることを追求中。
50歳での早期退職を目指し、世界一周航空券での長期旅を本気で準備しています。
思想・構造・実践──人生を支える「資産としての旅」を記録・発信中。